皆さん、こんにちは。東京大学にまつわる情報をお届けする赤ノ門ニュースです。
東京大学で2024年上半期に起きたニュースを、ランキング形式でご紹介します。執筆陣は東大生。腰の引けた大手メディアとは違う、一学生から見た視点をお届け!
目次
10位 五月祭で成田祐輔登壇
▲五月祭の公式Facebookより。
「高齢者は集団自決」の発言と陽気なメガネでお馴染みの成田悠輔氏が、「日本の大学教育を考える」という講演のゲストとして第97回五月祭に招かれた。Xにて当該イベントの告知が為されると多数の批判が集まり、当該ツイートのコメント欄が閉鎖される事態となった。駒場キャンパスにおいても成田氏を批判する立て看が立てられるなど、五月祭の本イベントに注目が集まった。呼んだら炎上するだろうにわざわざ成田氏を選んだ五月祭もよく分からないが、成田氏も成田氏で講演の前日にXにて反対者を煽る投稿を行い油に火を注ぎ、講演当日はメガホンを持った一部学生による抗議運動が行われた。
当日、講演会場周辺を筆者がうろついていると大量の警備員が配属され、なんともピリついた雰囲気に包まれていた。残念ながら抗議活動そのものには遭遇できなかったが、メガホンを床において座り込んでいる若い青年の姿が目に入った。
▲東大立て看同好会の公式Xより。
そうは言っても観客の大半は東大生でも無ければ意見もないただの野次馬なので、悲しいことに反対派の学生が排除された後は観客席から拍手が上がったようだ。講演において成田氏は「ペーパーテストの点数による大学入試には、合格・不合格が明快な数値で説明できる透明性や、どんな生まれの人でも試験の点さえ良ければ逆転できるという公平性がある」とし、他方で透明性には多様性という犠牲が伴うと述べた。「そもそも試験の点はごく狭い能力や知識を測るものでしかありません。(中略)TikTokでバズっても1点にもなりませんし、人に愛されるキャラも測れません」と述べた上で、「悪魔になろう。世間から憎悪され抹殺されるような人間に」と露悪的に講演を締めくくった。
9位「学業の都合がついた」悠仁さま、夏休みに公務に勤しむ
▲『皇室のニュースFNNプライムオンライン』より。
そんな荒れ狂う多様性の網を潜り抜けて東大進学が期待されているのが悠仁さまである。昨年、悠仁さまは高校在学中にも関わらず、宮内庁職員と共著で赤坂御用地のトンボの生態について論じた通称「トンボ論文」を発行なさった。加えて高校受験にて苦戦なさられていることから察せられる明晰なご頭脳から、一般入試でのご受験ではなく、見え隠れする学問的素養と素晴らしいお家柄を踏み台にした推薦入試で東京大学への受験に挑戦なさることが噂されていた。その噂の信ぴょう性が高まったのが、通常なら受験で多忙であろう高校3年生の夏にも関わらず、「学業に都合がついた」として7月末から8月上旬にかけて地方公務として「第48回全国高等学校総合文化祭」にご出席なさったとの報道だ。
▲悠仁さまが執筆なされた論文。
一般入試で受験する以上は3年生の夏にドサ周りしている余裕はとてもないことを考えると、やはり推薦入試を利用してご入学なさるのだろう。もし東大に受かってしまわれたら時代のバグというかニッポン教育の敗北だと思うが、トンボの論文と家柄の二本の矢を携えて裸一貫で日本最高峰の大学に立ち向かうその勇士は正しく日本男児。彼のせいで減る一枠で落っこちた東大生を思うと涙が止まらないが、うっかり通ってしまわれたら一般東大生から悪魔のように憎悪されると思われる。とはいっても日本の象徴が学習院卒なのはなんとも忍びないので、次期天皇と思われる悠仁さまには是非ともストレートで進学して欲しいところだ。
8位 茂木健一郎 「日本のお笑いは日本の停滞の象徴」
▲茂木氏の当該動画。ほとんど毎日投稿しており、コメント欄を覗いてみると誰一人茂木氏に批判的なコメントが見られないなど、牧歌的な世界が広がっている。
2023年より特任教授として東京大学に籍を置いている、「アハ体験」でお馴染み茂木健一郎氏が8月上旬、自身のYouTubeチャンネル「脳の教養チャンネル」にて「少数派だけどオレは言うよ。日本のお笑いは日本の停滞の象徴。もう先に行こうよ」と題された動画をアップロードした。お笑いが好きだと語る学生に対し「日本のお笑いはいらないと言ってあげた」となんとも上から目線に語る茂木氏。その理由としてイスラエルやガザなどの国際問題が発生しているにも関わらず、日本のお笑いは空気に忖度して社会・政治問題を題材として扱えないことを挙げ、お得意の脳科学の知見から自分の前頭葉を用いて当事者として物事を考えることの重大さを語った。
自身を「左でも右でもないインテリジェンサー」だと豪語する茂木氏だが、松本人志氏を筆頭とする日本のお笑いを「終わっている」と批判してからテレビ出演が大幅に減少しており、20年に同氏が東京大学において開講している授業を筆者が受講した際、「松本人志叩いて干されちゃってさー」と身を切る笑いで会場を沸かせていた。松本も干されている現状を鑑みると何とも感慨深いものがある。
そうはいっても茂木氏の学者としての業績は調べても目立ったものは見当たらず、タレント学者としての活動が前面に出ている現状を踏まえると、テレビ出演が絶たれタレントしての進退が危ぶまれる現状は氏の今後を応援する一個人として心配極まりない。駒場キャンパスではふらふらと歩きまわる茂木氏を発見することができる。暇なのだろうか。タレント業を廃業に追い込まれ、元々学者かコメディアンなのか不明な氏の活動を鑑みるに、タレント学者から一転してタレントでも学者でもない新境地を開拓しつつあるのだろう。余談だが、茂木氏も成田祐輔と同様、「多様性」を理由に現在の受験制度や予備校教育を度々批判している。そうはいっても推薦入試では人間性も問われる以上、彼らもペーパーテスト一本でなければ東大に入れなかったのではと思うのだが、二人ともタレント学者として大成してしまった後はかつての自分のような人間の進路には関心がないのだろうか。なんとも世知辛い。
7位 ガザ連帯キャンプ、爆誕。
▲キャンプの様子(2024年6月下旬)。このようなテントが複数立てられている。
4月半ば、東京大学の駒場キャンパスにおいて、パレスチナ・ガザ地区で行われている虐殺に反対する学生たちが「東大駒場パレスチナ連帯キャンプ」を立ち上げた。彼らは駒場図書館前の広場を占拠し、テントの建設やイスラエルによる「虐殺」への批判を意図する立て看の設置を通じてパレスチナ連帯への意思を表明した。テントは当初1つしかなかったが、5,6月の最盛期にはテントは10個ほどにもなり、宿泊スペースやハラスメントが発生した際の「セイファースペーステント」も立ち上げられるなど、多様性に配慮する余裕を見せた。テントが増えていくにつれてキャンプは次第に賑やかさを増し、学内外から数多くの教職員・支援者や報道機関が駆け付けた他、冷やかしによってキャンプが一時立ち入り禁止に追い込まれるなど問題も発生し、ただ単にキャンプで提供されるタダ飯を食らいに訪れる不届き者も存在した。
▲2024年8月現在のガザキャンプ。人の気配がない。
訪れた著名人には仏文学者の王子健太や哲学者の國分功一郎など、日ごろより政治的な情報発信を続ける知識人が多く見られる。中でも昨今ベストセラーを連発し甘いマスクで名声を集める國分功一郎は、10冊以上の本を貸し与えた他、缶詰、オレンジなどを寄贈するなど評判にたがわぬオシャレぶりを見せた。しかし6月以降、学費値上げ反対運動が熱を増していくにつれ、主要メンバーはみんな本郷へ活動の場を移して姿を消してしまったようだ。物見遊山目的で訪れる野次馬もいなくなり、あれほど賑わっていたキャンプも閑散とした雰囲気となってしまった。今訪れても一人か二人座っているだけ。常に誰かいないと困るらしく、シフトを組んで対応しているらしい。期末試験が終わる頃に訪れた所、キャンプにいたのは学外の某私立大学の学生ひとりだけだった。
6位 「性自認の多様性に関する学生のための行動ガイドライン」
▲発布されたガイドライン。基本用語の定義から日常生活において性的少数者が直面する困難に至るまで網羅的に解説されている。
2022年度より「ダイバーシティ&インクルージョン宣言」を発布し、ダイバーシティ棟の建設やジェンダー論・クィア理論(LGBTQ+に関わる社会・人文的な学問領域)に関わる教員の大幅増員、そしてセイファー・スペースの設置など、障害及び性的・人種的マイノリティ当事者の生きづらさを軽減する施策を次々と行ってきた本学。本学が行う施策以外でも、長年行われている「東大ミス・ミスターコン」の一部学生による粉砕活動や、駒場書籍部におけるジェンダー・ブックフェアの施策など、性的多様性にまつわる多様な試みがなされてきた。
東京大学は2024年2月より「性自認の多様性に関する学生のための行動ガイドライン」を制定し、日常生活におけるハラスメントを防止し、異なる性的志向を持つ人間同士が尊重し合って矯正するための注意事項を公的に発布した。近年東京大学では、前期課程の科目において「D&I」科目を増設し、ジェンダー論及びクィア理論、および障害学・第三世界に射程を広げた教育に力を入れている。教育的であるだけでなく、単位の取得が容易だと話題を呼んでいる。
こういった教育が広まる一方で、「コミュニケーションにおいてこれはハラスメントになるので言ってはいけません」というようなリテラシーが大量に作成されており、うっかり「ハラスメント」に該当する言動をとってしまうと「リテラシー不足」と袋叩きに合うので、日々の生活に謎の緊張感が走っている。
駒場キャンパスには副学長も務めるジェンダー論研究者・清水晶子氏が教鞭をとっていることもあり、前期教養及び後期教養学部では多様性に関する議論が活発に行われている雰囲気があるが、裏を返すとコミュニケーションに暗黙のルールが張り巡らされているようでなんとも居心地が悪い。性差別的な言説が蔓延る世界で性的少数者の方々が感じている恐怖心を鑑みれば、この程度の居心地の悪さなど屁でもないのかもしれないが、ガイドラインに反した言説を「差別的」だと一概に排除するコミュニケーションの在り方が新たな問題を生むことになるかもしれない。今後の動向から目が離せない。